10代、20代の頃から、何度も将来の夢や目標を探そうとしたけれど、具体的に浮かばなかった。目を閉じて集中してみたり、紙とペンを用意して、将来を描こうとしたけれど出なかった。
そんな私に、「もし何のハードルもなく、何でも自由に選べる人生だとしたらどうしたい?」と聞いてくれた女性がいた。「何でも自由に選べる人生だったら」と思ったら、一瞬にして、やりたいことが次から次へと頭に浮かんだ。そして、ものすごく気分がすっきりして、ふわっと体が軽く感じ、心が躍った。
でもすぐ罪悪感にかられた。自分には高齢の親がいて、将来にわたって私が面倒を見なければと思った。そして介護が終わったときは私も相当な年になっているだろう。自分の将来を思い浮かべるとき、幸せそうな自分は出てこない。もしかして私は夢を見ないように無意識に思考にブレーキをかけてるかもしれない。
そのブレーキを「何でも自由に選べるとしたら」という言葉が一瞬外してくれた。ただ、すぐ心配に意識が持っていかれ、また簡単にブレーキがかかってしまう。
目の前の心配事は直面しているから、忘れることはない。一方、本当の自分が欲していることは意識しないと思い出さない。
自分が本当に望む状態と現状を比べて悲観するためではなく、ギャップを埋めるためでもなく、自分が迷子にならないように、何かを決断するときには、現実と「何でも自由に選べるとしたら」の両方のケースで回答を持っておきたい。


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