コミュニケーションとストレス

幸せ

これまで、毎日当たり前のように誰かとコミュニケーションがあった。朝起きたら家族と、学校に行けば友達や先生と、会社に行けば同僚や上司、部下と。仕事を引退し、母が介護施設に入ったら、これが当たり前でなくなる。自らコミュニケーションする機会を作らなければ、誰とも話さず1日が終わる。

コミュニケーション機会を作るのはエネルギーがいる。特に用件もないのに、電話したり、メッセを送ったりするのは、勇気がいる。いざ用件ができたときですら、普段連絡をしていないと、連絡しづらい。

億劫がって誰とも話さなければ、次第に社会から孤立する。孤立すると、いろいろな不利益がある。困った時に、気づいてもらえなかったり、体調不良時の家事、重い家具を動かすなど人と協力し合えば簡単なことが一人だと大変だ。

何か決断や選択をしなくてはならない時、周囲からの意見が得られないと、判断材料が自分の経験や情報量に限定されてしまう。重要な決断を間違えると、QOLの著しい低下や、寿命を縮めることにもなりかねない。

私のことをよく知る人がいなければ、私が私であることを証明するのは、身分証しかなくなる。身分証で名前や生年月日は証明できたとしても、私がどんな性格で、信頼に値する人なのかを証明してくれる人がいなくなってしまう。

孤立しないためにも、日頃からコミュニケーション機会は作った方が良い。コミュニケーションは質より量だ。コミュニケーションに目的はいらない。相手を説得したり、何か気付きや学びを得ようとする必要はない。天気の話を毎日するだけでも信頼関係は生まれる。天気の話に飽きれば自然と会話が広がっていく。

発言することで自分の考えが整理できたり、相手の意見を聞くことで情報収集できたり視野も広がる。どちらかが面白いことを言えば笑い、気分が上がり、気持ちがよくなる。こうなると、特に目的がなくても、コミュニケーションそのものが楽しくなってくる。

一方で、コミュニケーションはストレスになることもある。相手が自分の話に興味や共感を示してくれなかったり、意見が合わず、批判されることもある。聞きたくない話を聞かなければならないこともある。喧嘩や誤解を招くこともある。コミュニケーションのメリットよりストレスの方が大きくなると、人と関わるのが煩わしくなり孤立へと向かってしまう。ストレスなくコミュニケーションするには、ある程度の「術」が必要だ。

人は、他人の話を聞くよりも、話す方が好きだ。自分が興味のあることを話すのは楽しい。自分は話すのが好きでないと思っている人は、自分を見せることに不安があったり、相手に話させた方がメリットがある場合などで、そういう制約がなければ、本来人は誰でも話したい。

話し手には聞き手が必要だが、誰も好んで聞き手に回りたくない。自分が話し手ポジションを獲得するための手段の一つが、マウンティングだ。自分の話は価値があり、興味を持つべきだとわからせるためにマウンティングをする。自分の方が上であり、自分の話を聞くべきだ、と相手に気づかせようとしてマウンティングする。

マウンティングの対象となるものは、浅い関係の間では限られている。アイドルやアニメの推し活仲間ではファン歴や知識、学校では影響力あるクラスメイトとの仲の良さなどだ。会話が、プライベートにも発展すると、マウンティングの対象は、学歴、経済状況、健康、魅力、人脈など、多岐に渡り、総合評価でマウンティングしあう。学歴と経済状況は負けてるけれど、見た目と健康は私の方が勝っている、といったふうに、自分の方が優れているものと、相手の方が優れているものの総和で、比較し出す。最終的にはどっちが幸せかの比較になり、終わりがない。

マウンティングは、コミュニケーションの回数が重なり、人間関係に発展すると徐々に生じる。先生と教え子、親方と弟子のように上下が固定されている関係や、絶対的な愛情のある親子やパートナーでない限り、人は上下関係をつけようとする。相手がマウンティングを仕掛けてくる時、相手は私より上であることを私に認めさせたがっている。私がそれを認めないと、マウンティングはますますエスカレートする。

一方、自分の方が上であることを相手も認めている時はとても心地よく、自分がマウンティングしていることに気づきにくい。相手が昇進や結婚、出産などで喜んでいる時に、気分が落ち込んだり、嫉妬心が芽生えたら、今まで無意識にマウンティングしていたと思ってよい。マウンティングし合っている相手とは、お互いの成功を祝福し会えない。

上下関係をつけたがるのが人間の本能だとしたら、抗うのは難しい。本能に従いつつ、マウンティング試合を避け、自分も相手も気分よくいるには、「こっそり勝つ」しかない。

「こっそり勝つ」とは、自分が勝っていることを自分だけが知っている状況だ。相手に見せている自分と、本当の自分は別だ。相手には、実際よりイケてない自分を見せて、優越感で気分よくいてもらう。でも実は私の方が勝っているので、私も気分よくいられる。諺の「負けるが勝ち」だ。勝者は負けを認めた相手には優しく無防備になる。負けてあげた方も、勝ったと思って喜んでる相手を見て、ほくそ笑む。子供にわざとゲームで負けて、喜ばせるのと近い。これを、大人相手にも実践するのが「こっそり勝つ」だ。

自分が持っているものや能力を、不必要に出すと、嫉妬やマウンティングを生む。「能ある鷹は爪を隠す」という諺がある。「能(=武器)を隠して相手に油断させながら近づいて攻撃する」と解釈する人もいるが、私は「能(=資産やスキル、恵まれていること)を隠して相手からの嫉妬や競争心、攻撃心を起こさせないようにし、争いを避ける。」と解釈している。

友人や知人と話していて、何となく不快を感じたら、おそらくどちらかがマウンティングを仕掛けている。こういう時は、さっさと負けて、自分がこの相手とコミュニケーションする目的やメリットに意識を向けるのが良い。この相手とのコミュニケーションは目的を達成するためのプロセスであると割り切り、目的達成に集中し、感情が反応しないようにすれば、コミュニケーションのストレスは軽減できる。

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